2024-12-04

立ち止まることの大切さ

 

平日、休日、三連休。

忙しかったり、忙しくなかったり。

 

一生懸命に日々を送っていると、色んな日があります。
そんな中、どんなときでも定期的に立ち止まって確認することがあります。

 

それは「心の余白」です。

 

 

心に余白があるとき、自分自身の心地も良ければ、誰かに対してもやさしくなれたり、手を差し伸べることができたりします。

 

人に対してだけではなく、モノに対しても、自然に対しても同じ。

 

ドアを閉めるとき、パタンと音を立てていないかな。
後ろに人はいないかな。

 

ごみを捨てるとき、無意識にぽんっと捨てるのではなく、
意識をむけてありがとうの気持ちを込めているかな。

 

 

ごみは、
最初から”ごみ”というわけではありません。

 

ティッシュも、包装紙も、レシートも。

 

どんなものも、
誰かが毎日働いてくださっているおかげで
自分の元にやってきて、便利に使うことができています。

 

便利がゆえに、
“あること”が当たり前になり、
無意識になってしまいます。

 

心に余白をもたせることは、
無意識に目をむけて、
“意識する”ということかもしれません。

 

 

自分のことでいっぱいで、周りのことが見えなくなる。

 

そんな日は、誰にだってあるけれど、
それに気づいて一度立ち止まり、
目の前のものに”意識”をむけてみる。

 

道を歩いてみえる景色。


落ちている葉っぱ、色づいていく街路樹。

 

無意識になっていると目に映らなかったものが、
“意識”をむけると、どんどん目に入っていきます。

 

 

疲れているとき、悩みがあるとき、心に余白がないときこそ、一度まっさらになるために「心の余白」を取り戻す時間をつくります。

 

カフェに行って本を読んでみたり、
公園にいって散歩をしてみたり。
携帯や情報からはなれることも1つの方法です。

 

時間があると
無意識にスマートフォンを開いて
SNSを見て情報を得るーー

 

これは「お腹がいっぱいのときに、無意識に何かを食べようとする」ことと同じように思うのです。

 

情報でパンパン、
頭がいっぱいなのに、
さらに情報を詰めこんでいるような感じです。

 

私自身は、そんな感覚になってしまいます……

 

「写真を撮りたいから」「この情報がほしいから」というように、”スマートフォンを開く理由”が出てきてから、スマートフォンを手に取るように意識してみると、バランス良く情報を得ることができます。

 

 

何かに追われているようなとき、
何かが不安でフワフワしているようなとき、
心がざわついているときーー

 

自分が忙しなくなっていると気付いたら、
一度立ち止まって「心の余白」をつくってみる。

 

時間がない、と進んでいきたくなりますが、一度足を止める方が長い目で見たときに、よっぽどスムーズに物事が進んだりするものです。

 

そんなことを考えながら、今日も一日を過ごしてみようと思います。

 

 

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