立ち止まることの大切さ
平日、休日、三連休。
忙しかったり、忙しくなかったり。
一生懸命に日々を送っていると、色んな日があります。
そんな中、どんなときでも定期的に立ち止まって確認することがあります。
それは「心の余白」です。
心に余白があるとき、自分自身の心地も良ければ、誰かに対してもやさしくなれたり、手を差し伸べることができたりします。
人に対してだけではなく、モノに対しても、自然に対しても同じ。
ドアを閉めるとき、パタンと音を立てていないかな。
後ろに人はいないかな。
ごみを捨てるとき、無意識にぽんっと捨てるのではなく、
意識をむけてありがとうの気持ちを込めているかな。
ごみは、
最初から”ごみ”というわけではありません。
ティッシュも、包装紙も、レシートも。
どんなものも、
誰かが毎日働いてくださっているおかげで
自分の元にやってきて、便利に使うことができています。
便利がゆえに、
“あること”が当たり前になり、
無意識になってしまいます。
心に余白をもたせることは、
無意識に目をむけて、
“意識する”ということかもしれません。
自分のことでいっぱいで、周りのことが見えなくなる。
そんな日は、誰にだってあるけれど、
それに気づいて一度立ち止まり、
目の前のものに”意識”をむけてみる。
道を歩いてみえる景色。
落ちている葉っぱ、色づいていく街路樹。
無意識になっていると目に映らなかったものが、
“意識”をむけると、どんどん目に入っていきます。
疲れているとき、悩みがあるとき、心に余白がないときこそ、一度まっさらになるために「心の余白」を取り戻す時間をつくります。
カフェに行って本を読んでみたり、
公園にいって散歩をしてみたり。
携帯や情報からはなれることも1つの方法です。
時間があると
無意識にスマートフォンを開いて
SNSを見て情報を得るーー
これは「お腹がいっぱいのときに、無意識に何かを食べようとする」ことと同じように思うのです。
情報でパンパン、
頭がいっぱいなのに、
さらに情報を詰めこんでいるような感じです。
私自身は、そんな感覚になってしまいます……
「写真を撮りたいから」「この情報がほしいから」というように、”スマートフォンを開く理由”が出てきてから、スマートフォンを手に取るように意識してみると、バランス良く情報を得ることができます。
何かに追われているようなとき、
何かが不安でフワフワしているようなとき、
心がざわついているときーー
自分が忙しなくなっていると気付いたら、
一度立ち止まって「心の余白」をつくってみる。
時間がない、と進んでいきたくなりますが、一度足を止める方が長い目で見たときに、よっぽどスムーズに物事が進んだりするものです。
そんなことを考えながら、今日も一日を過ごしてみようと思います。
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